博多電光

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祖父が他界しました

2018年1月7日、父方の祖父が他界した。すでに4ヶ月以上前の話である。

詳細は聞かされていないが、僕が物心ついたときから老病を患っていた祖父は、長らく自宅で投薬治療を続けていた。とはいえ病人のようなていではなく、むしろ帰省するたびに僕らに快活で剽軽な姿を見せる祖父は、ぷっくりとした姿も相まってまるで布袋さんのような存在だった。1月6日夜、祖父は自宅で突然の心臓発作を起こして卒倒、救急搬送されたがまもなく死亡が確認され、まさにピンピンコロリで逝ってしまった。

その2日前まで、僕と家族は正月の帰省で祖父の家に逗留していた。居間で僕らと談笑し、一緒にテレビを見て笑い、手製のきんぴらごぼうを振る舞う祖父の姿は、いつも盆と正月に顔を合わせる朗らかな祖父の姿そのものだったし、間違っても死神に憑かれた老人の姿ではなかった。祖父の訃報を受けて僕らは千葉から新幹線でとんぼ返りをし、つい2日前に後にしたばかりの居間で眠る祖父の体に手を合わせた。死に水を取り、納棺し、葬儀に参列し、骨を拾い、そのまま涙を拭いて帰った。あれから4ヶ月、僕と周囲の日常は表向き何も変わらず動き続けている。

一方で、僕自身の生き方は取り返しの付かないほど変わってしまった。

以前の記事にも記したとおり、僕は昨年の9月に祖母を見送ったばかりだった。昨年逝った祖母は母方なので、もちろんこれらは無関係である。しかし、不幸は続くもの――という安易な言葉では慰めにはならないほど、肉親が立て続けに逝ったことは僕の精神に深い暗雲をもたらした。

法要のため加古に滞在している間、それがどういう心境によるものかは未だによくわからないが、僕は愛読書であるアンナ・カヴァンの『氷』を読み続けていた。それは単に愛読書が隣にあることで安心感を覚えたかったのかもしれないし、霊前に臨む前に少しでも悲しい気分に浸りたかったのかもしれないし、単に機会を見て名著を再読したかっただけかもしれない。どうせ自分の行動に理由をつけられることなんて多くないのだから、そこは特に気にしない。とにかく僕は、何度目かは忘れたが2日間で『氷』を読破し、増え続ける一方の自室の本棚に差し戻した。

物語の中で幾度となく殺され、侵され、壊される白い少女は、きっと本来の意味での純粋な「死」のイメージではないのかもしれない。しかし、迫り来る氷と飲まれゆく大地のイメージは、僕にとっての現実と妄想の境を曖昧にし、不連続なはずの生死の境界を超えて手を伸ばし、死を見つめる視線を悪い意味で変容させ、深淵を覗き込むことの恐怖を僕に与えた。都会に帰ってからの僕の日々は、典型的なタナトフォビアの様相を呈した。

10秒後に死ぬかもしれないことを考えて眠れない夜が増えた。

ホームドアのない駅の乗降場に立つことが怖くなった。

フィクションでも誰かが死ぬことに過剰に怯えるようになった。

死ぬことを知って、また生きるのが難しくなった。僕は未だにこの根源的なトラウマの中に囚われている。だけど。

奈落の底を知らなかった日々には、数十年後に訪れるであろう死をぼんやりと思いながら安楽に過ごしていた毎日には、戻りたいと思っても決して戻れないから。

戻れるとしても戻りたくはないから。

記憶は魂そのものだから、記憶を刻んで1つ弱くなった僕も間違いなく僕だから、今、自分が自分であることは絶対に否定したくはない。

それは今の僕が忌避する「死」そのものだから。

だから。神様を呪って、今畜生と唾吐いて、それでもこの星の下で人生を謳歌してやろうと思った。

君はどこに落ちたい? どうせ墜落するのが定めなら、僕は大気圏に落下して燃えて燃え尽きて誰かの願いを叶える流星になって朽ちたい。そして。

そして、僕は今日もまた生き損じている。

つよくなりたい。